日蓮正宗 本久山 西大宣寺 Official Website
折伏育成の年
日蓮正宗とは

日蓮正宗は、日蓮大聖人が、建長五年(一二五三)四月旨を建立されたことにはじまります。

釈尊は、法華経のなかで、二千年後の末法とい衆生を救うべき法華経の行者が出現することを予言。

宗祖日蓮大聖人は、その予言どおり末法に出現およぶ数々の法難を受けながら、射を救済するため、南無妙法蓮華経を弘められました。そして、弘安二年(一二七九)十月十二日に、ご一代の教えの究極の法体として、出世の本懐である本門戒壇の大御本尊を顕わされたのです。

日蓮大聖人はご入滅に際し、第二祖日興上人を後継者として定め、日蓮大聖人のご法魂である本門戒壇の大御本尊をはじめ仏法の一切を譲られました。これを「血脈相承」といいます。

総本山大石寺は、この血脈相承を受けられた第二祖日興上人によって、正応三年(一二九〇)十月十二日に聞かれました。これは日蓮大聖人の「本門の戒壇は富士の地に建立すべし」とのご遺命によるものです。

日興上人以来、代々の御法主上人によって、この大石寺を総本山と仰ぐ日蓮正宗には、日蓮大聖人の教えが正しく伝えられています。

このように、日蓮正宗こそ全世界の民衆に幸福と平和をもたらす唯一の教団であり、その教えを実践する信徒の集まりが法華講なのです。

多宝富士大日蓮華山大石寺

正応3年(1290)10月、宗祖日蓮大聖人の法嫡・第2祖白蓮阿闍梨日興上人によって開創されました。寺号の大石寺は、大石ヶ原の地名に由来します。また開基檀那は、当地・富士上野郷の地頭であった南条七郎次郎時光です。

  日興上人は弘安5年(1282)、大聖人から一切の付嘱を受けられ、大聖人の入滅後、身延山久遠寺の 別当職(住職)に就かれました。

  しかしその数年後、身延の地頭である波木井実長が、民部阿闍梨日向のそそのかしもあって、徐々に謗法をおかすようになりました。師である日興上人は、再三にわたりこれを諫め諭しましたが、波木井実長はまったく謗法を改めようとしませんでした。

  そのため日興上人は、かねてより大聖人の「地頭の不法ならん時は我も住むまじ」との御遺言によって、遂に意を決し、宗旨の根本である本門戒壇の大御本尊をはじめ、大聖人の御灰骨など、一切の重宝を捧持して、正応2年(1289)の春、身延の山を離れました。そして大聖人以来の強信者である南条時光の請いに応じて富士へと移り、翌正応3年(1290)には大石寺を建立して、本門戒壇の大御本尊を安置し奉り、また多くの弟子達を養成して、宗門万代の基礎を築きました。

  爾来、日興上人より第3祖日目上人へ、日目上人より第4世日道上人へと一器の水を一器に瀉ぐがごとく血脈相承し、法燈連綿として御当代・第68世日如上人に及んでいます。

  日蓮正宗総本山大石寺こそ唯一、宗祖日蓮大聖人の教えを正しく今日に伝え、世界の民衆を真に救済する根本道場なのです。

 

私たち日蓮正宗を信仰する者は、正しい仏法によって自分自身の幸福な境界を確立するとともに、真の平和社会を築いていくことをめざしています。

仏教では、人間として真実の幸せは成仏するところにあると説いています。成仏とは、死後の成仏のみを願ったり、人間とかけ離れたことではなく、現実生活のなかで私たち自身が、仏のような理想的な人格を形成し、安穏な境地にいたることをいうのです。

仏には、法身・般若・解脱という三つの徳が具わっています。この三徳とは、清らかな生命と、物事を正しく判断する智慧、そして悩みや苦しみを克服する自在の境地をいいます。私たちも、正法を信仰することによって、自然にこれらの徳を身に具え、いかなる困難をも乗り越え、人生を力強く歩んでいくことができるのです。

末法の御本仏日蓮大聖人は、すべての人々に幸福をもたらすため、南無妙法蓮華経という正しい教えを説き明かしました。そして弟子・信徒に対して、この仏法を世界に弘めて真の平和社会を実現するようご遺命されたのです。

このご遺命の実現を「広宣流布」といいます。

このように、一人ひとりの成仏と広宣流布を目的として、日蓮大聖人の教えを正しく実践していくのが日蓮正宗の信仰です。

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